2021-03-12

東日本大震災から10年の節目を迎えて

あの日、私は、報道取材の担当でした。
どの局も少しでも多くの情報を! とそれぞれが出来る限りを尽くしたと思います。

地震から3日目には、花巻空港を拠点に、DMATヘリの運航スタッフとして被災した各地の病院に医療従事者や医療物資を運んでいました。
全国から多くの機体が集結し、1人でも多く助けるんだ、という熱意にあふれていました。

あの時以来「沖縄の家族、友人たち、大切な人の生命を守りたい。」
という想いに突き動かされてきました。

地震に続いて津波が来れば、あっという間に那覇空港も11メートルの津波が押し寄せるというシミュレーション結果が示されています。
離島県の沖縄は、災害が起きたら、船か航空機でしか、他県の応援を受けることができません。
その備えは十分でしょうか。
例えば、航空機を飛ばす燃料は空港敷地内にしかありません。
空港が被災したらどうなるのでしょうか?
被災時に、船が着艦できる場所、航空機が着陸できる場所を考え、準備しているのでしょうか。

私は、那覇市民の、沖縄県民の生命を守りたい。
あの日失われた多くの命に誓います。
立ち止まることなく、走り続けます。

遠く沖縄から被災地へ祈りを捧げます。