プロフィール

吉嶺 努(よしみね つとむ) 略歴

1976年(昭和51年) 沖縄県那覇市首里金城町生まれ
1989年(平成元年) 那覇市立城西小学校卒業
1992年(平成4年) 那覇市立松城中学校卒業(バスケット部)
1995年(平成7年) 沖縄県立首里東高校卒業(バスケット部)
1997年(平成9年) 沖縄大学短期大学部卒業(英語研究クラブ)
2003年(平成15年) 朝日航洋株式会社入社。
その後、約10年間ヘリコプターパイロットとして勤務。
2015年(平成27年) 沖縄県ドクターヘリ事業パイロットに移籍。
 2017年(平成29年) 那覇市議会議員選挙に初挑戦し当選。
「命を守る政治」を目指し日々奮闘中。

生い立ち

よしみね 努は、沖縄県が本土復帰を果たした後、具志堅用高さんが世界チャンピオンとなった1976年に首里金城町で生まれ、この那覇市で育ちました。

小学生の頃から大空に憧れて、「ヘリコプターのパイロットになりたい!」と言う夢を、一途に追い続けてきました。高校生の頃には、将来米国でヘリの免許を取る!と心に決め、最短距離で夢を実現するため、短大英語科を選んで受験。卒業後は20歳で単身米国に渡り、まずは自家用ヘリコプターの免許を取得しました。

プロのヘリコプターパイロットになるための訓練を続けるため日本と米国を行ったり来たりしていた2001年9月、アメリカ同時多発テロ事件があり、資格取得が出来ないかもしれないという危機もありましたが、その後も訓練を重ねて事業用免許(プロのヘリコプターパイロットのための免許)も取得することができました。

沖縄を出て6年、26歳でアジアナンバーワンの航空サービス会社に就職。日本各地で送電線パトロールや旅客輸送、TV中継など様々なミッションをこなしてきました。10年かけて、ほぼ全ての都道府県の空を制覇し、総飛行時間は3,000時間を超えています。東日本大震災を機に、命を守るための緊急事態への対応に仕事の中心が移り、2015年には、沖縄県ドクターヘリ事業に移籍。沖縄本島だけでなく、たくさんの離島へも飛び回り、「命を守る」ことに関わってきました。

なぜ政治家を志したのか?

2011年3月、東日本大震災が発生した時、報道ヘリパイロットとして発生すぐに現地に入り、その後、被災地への支援物資の運搬にも関わりました。多くの命が一瞬にして失われたあの震災の後、被災地を空から毎日のように見つめる中で、自分にとって最も大切なこと、人生で叶えたいと思っていたことは何であったのか、ということをよく考えるようになりました。そして、40歳を前に、沖縄に戻ろう、と決めたのです。

沖縄のために働きたい。沖縄に住む大切な人たちのために働きたい。その想いから沖縄県ドクターヘリ事業に移籍しました。しかし、患者さんは1回のミッションで1人しか救えません。たくさん困っている患者さんはいるけれど、全ての要請に応えきることは出来ません。

もちろん、医療スタッフも、患者さんのために頑張っています。フライトを支援してくださる消防機関のスタッフもギリギリの人数で一生懸命働いています。出来るだけたくさんの命を守りたいのに、助けられる人数は限られているのです。

こうした日々の業務のなかで見えてきたことは、沖縄県には「教育・健康・安全・防災」に課題があるということ。いまの沖縄県の現状を変えたい。そのためには、その仕組みを作るしかない。沖縄をよりよく変える。那覇市から変える。

那覇市のみなさんをHAPPYにする。そのために、那覇市をもっと良くしたい。誰もが目標を持って勉学に励み、健康で将来の夢に向かって頑張れる、安全安心のまち那覇市を実現したい。これが、私の新しい夢です。よしみね努は、この夢を実現する政治家を目指します。